熊本県の広域公園であるエコパーク水俣は、緑あふれる竹林園や約450種・5,000本のバラが咲き誇る花の里、スポーツ公園などがあり多くの人々が訪れる憩いの場所。中でも水俣湾に面し、エコパーク水俣の先端にある親水護岸は、ボードウォークが約465m続き、汐の香りと波の音を聞きながらゆっくりと散策ができる。サンゴや熱帯魚のすむ美しい海である不知火海と恋の伝説がある恋路島を臨むことができ、夕方は不知火海に沈む夕日を眺めることができる絶景ポイント。また周辺地域は海も山も魅力にあふれ、情緒ある名湯・秘湯や歴史に思いをはせるスポットが点在している。

住所 熊本県水俣市汐見町1丁目 エコパーク水俣内 Map
アクセスJR新水俣駅より車で約15分
南九州西回り自動車道足芦北ICより車で約40分
HP http://go-minamata.jp/
九州 恋人の聖地

デートプラン

10:00 1日中遊べるエコパーク水俣!

約40haの広さを誇るエコパーク水俣。  その中には、お土産物が購入できる物産館まつぼっくりや食事のできるレストランたけんこなどが並ぶ道の駅、子供が楽しく遊べる子供の広場や陸上競技場、サッカー場などが整備され、家族で1日中遊べる公園です。  また、世界各地から何百種類もの竹が集まる竹林公園や、春・秋の季節限定で味わえるバラ園など癒されること間違いなし!

12:00 海を眺めながら美味しいそば

昼はちょっと足を伸ばして遠見のそば屋へ。ここは全国紙にも度々登場する素材にこだわった手打ち専門そばの名店。窓の外に目をやれば、海に浮かぶ恋路島が。おいしいそばはもちろんのこと、絶景も楽しめる。

14:00 和ロウソク作りを体験

水俣は、和ろうそくの原料となる櫨(はぜ)の国内有数の産地。侍街道はぜのき館では、櫨の実やそれから精製される製品等の展示を行っているほか、水俣の櫨からできたろうそく作りが体験できるコーナーがある。自分で絵付けした、世界に一つだけのオリジナルをお土産に。

16:00 不知火海に沈む夕日

夕暮れ時が近づいてきたら、夕日の絶景ポイントで恋人の聖地である親水公園へ。目の前に恋路島を望み、さらに不知火海に沈む夕日を眺める絶好のスポット。夕日をバックに浮かび上がる恋路島のシルエットも幻想的な風景。

17:00 風光明媚な海岸の温泉地

一日存分に遊んだら、温泉で疲れを癒そう。海辺の温泉地、湯の児温泉は、不知火海の大パノラマと天草の島々が目の前に広がる。潮風を感じながらつかるお風呂は、海が見える露天風呂、探検気分を味わえる洞窟風呂など多彩。昔ながらの温泉街の情緒を味わうなら山あいの秘湯・湯の鶴温泉へ。

PickUp インフォメーション

美しい恋の島

恋路島は、水俣湾北部に位置する周囲約4km、面積約26ha、およそ東京ドーム6個分の無人島。  戦のために海を渡った若き武将と、夫の無事を祈り続けた妻の美しい恋の物語が伝えられている。

映画「恋路物語」

平成18年11月に水俣市を舞台として撮影した映画「恋路物語―each little thing」。ストーリーを全国から募集し、345作品の応募の中からグランプリ作品に選ばれた「ばあちゃんの恋」(関戸幸子著)を原作とした。少女と祖母の二つの恋物語が、美しい水俣を舞台に展開される。地元の美しい風景を広く知ってもらい、新たなロケ地としてTV番組、CMや雑誌等を活用してもらえるようにとの思いが形となっている。

2大温泉郷

九州の地中海とも呼ばれる不知火海に面した風光明媚な海岸の温泉地、湯の児温泉。一方、どこか懐かしい昔ながらの情緒が漂う湯の鶴温泉は山あいの温泉地。傷ついた鶴が湯浴みをして傷を癒していたという言われのある温泉で、柔らかな湯質は美人湯としても評判。2月26日までは、毎週日曜に『湯の市』を開催。見て食べて温泉に入ってと体全体で楽しめるイベント。

スウィーツのまち水俣

水俣市中心部は、スウィーツの街!老舗のお菓子や山野、和の味と伝統を守り抜く和菓子屋さん、色とりどりのケーキにうっとりしてしまう洋菓子屋さんなど、少し歩くだけでもさまざまなお菓子に出会えます。  さあ、好みのお菓子を探して、水俣スウィーツ散歩に出かけましょう!

旨みたっぷり!!水俣チャンポン

水俣において、チャンポンが食べられるようになったのは、昭和28年ごろ。天草からの漁師などが、町の食堂で天草のふるさとの味であるチャンポンを再現して欲しいとの要望に答えるために、チャンポンを作るようになった。当時は食糧難のためチャンポン麺に卵を使っておらず、ぷっつりともちもちの麺でチャンポンを作っていただが、野菜たっぷりにもちもち麺という組み合わせが満腹感を得られるため、訪れる漁師や長崎からの船乗りたちも水俣でもチャンポンを楽しめるということで大喜びされたとのこと。それから、多くの食堂でチャンポンを作るようになり、食堂独自の研究を進め、おいしいチャンポンが食べられるようになった。